ファッションとアートとダイバーシティとか
虹色に塗りつぶされていくファッション|落ちていた寿司(スタイリスト私物)|note を読んで思ったことなど。エンパワメントってなんだろう? - #わたしだけのブッククラブ の裏になる話かもしれない。あとこれも。
あらかじめ書いておくと、オチはないよ。
・虹色はどちらかというとセクシャルマイノリティのシンボルだったと思うけど、ダイバーシティに意味が変わったのかね。まあ南アフリカの国旗は虹モチーフだけど。
・多様さの現れるところには二か所あって、ようは入口と出口。コレクションの服は出口。一方で、ヴァージル・アブローの起用は入口。前にも書いたけど(これとこれ)、作り手を多様にすることで、表現を多様にしようとしてる。目指すところはやっぱりパフォーマンスの向上であると思う。
・LVMHも「今のファッション界はまだ十分に偏っている」という自覚はあるでしょう。程度はどうあれ。
・独立系でも西洋以外出身のデザイナーも増えつつあるよね。
・ハイファッションは結果としてアートにもなるけど、ムッシュ・ディオールやココ・シャネルはやっぱり「服」を作ってたんだよな。これいつだかカール・ラガーフェルドが言ってた気がする*1。なので、どちらかというと民藝とかそういう…。
・川久保玲が違うのは分かる(笑)。
・「装飾は流転する」で見た山縣良和とか。
・ただ、アートは現実を変えようとするものだと思うので、「別のプールにいるから関係ない」はちょっと…。ココ・シャネルの作った服は女性を解放し現実を変えたんだし。
・「ポリコレ」という略称を使うのは、どちらかというと「表現に意見する側」を疎ましく思ってる人だと思うので、馬鹿にする意図がないならあまり使わないほうがいい気はしている。
・表現を批判する方は、「ポリコレに反してる」ではなくて、ちゃんと「あれはこういう理由でイマイチ」みたいにちゃんと書いてると思うから。それに反論するなら、「その解釈はこうこうこういう理由でおかしい」とか中身を書いてくれないと。
・オートクチュールはF1(それ自体で収益をあげるのではなく、ブランドイメージの広告として機能するもの)なので、実用性無視(笑)で尖っていてほしいという気持ちは分かる。
・CHANELのメチエダールのショーのYoutubeのコメントで、「どうやって洗うの?」みたいな疑問に、別の人が「これは一種のアートであって、普段着るための服ではない」みたいに返してたのあった。
・プレタポルテはどんどん商業主義に寄ってるよね。SEE NOW BUY NOWとか。それが悪いということではないけども。
・どちらも、アートであると同時に「服を売るにはどうすればいいか」を徹底的にやる場所でもあって、政治がトレンドなら取り入れもする。エシカルとか、フェミニズム*2とか。
・D&Gの騒動もあったように、現実にはまだ差別がたくさん残ってる。そして特定の人々への蔑視や差別は、主義主張や心だけなんかじゃなく、個人個人が持つ人間の身体を傷つけてきた。
・だからこそ、21世紀も20年経とうとしてるのに、いまだに「多様性」でモノが売れる、ダイバーシティを叫ばなきゃいけない現実を、一緒に泣こうよ…。